だれだ!?簡単に武将『摂津晴門(せっつ はるかど)』を知る:『麒麟がくる』で登場。
NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」で登場した、
『摂津晴門』氏を知ろうと思ったんやけど、
調べても内容が難しいし、勉強ついでに、
なるべく簡単に話をまとめたで!😉
※特別、注釈がなければ、
Wikipedia[1]を参考にしてるで!
☆摂津晴門とは
戦国時代の武将
幕府No.4機関で政所執事(政所の長官)を計5年ほど、
務めていたと見られる。
お偉いさんだねぇ😊
武力で戦う系ではないっぽいな!
頭脳派『摂津晴門』!
さて、実際に何をしたのか?
功績は分からんかったわ🤔
年齢は不明
生1510付近~没1572年付近?かと思われている。
※永正エイショウ年間前半(1500年代前半)生まれで、
元亀ゲンキ年間(1570年~)には60代になっていたと推測されている。
また、「永正年間」前半について。
晴門のWikipedia上では(1500年代後半)と書かれているが、
「永正」のWikipedia上[3]では、
1504年から1521年までの期間を「永正」とされることと、
活動時期から照らし合わせ、「1500年代前半」と修正。
誰に仕えていたか
12代将軍『足利義晴』の子ら↓に、
家臣として仕えた。
☆簡易年表
- 1510年〈永正7年〉前後あたり? 摂津元親(後に元造)の子として誕生
- 1528年〈享禄元年〉従五位下中務大輔になる。
---1546年〈天文15年〉13代『足利義輝』(11歳_数え年)就任---
**空白の2年**
---1568年〈永禄11年2月〉14代『足利義栄(よしひで)』就任(29~31歳?)しかし、同年9月、病により死去---
---(同1568年)〈永禄11年10月〉15代『足利義昭』(32歳_数え年)就任---
- (同年?) 政所執事に再び起用される。
- 1571年〈元亀2年7月〉義昭の怒りを買い、逼塞を命じられる(謹慎処分かな?)
- (同年)11月 晴門以外が政所執事に起用される(クビかな?)
- 1572年〈元亀3年〉朝廷への使者を務めていることが確認されている。
以後、
間もなく死去したか引退したとみられ、
本人・子孫は消息不明。
そんなぁ...😲
空白の2年は、なんだか面白そう。
誰か調査はよ!笑
☆織田信長との関係
ググっても、とくには無さそうか。
信長が関わると、
だいたい面白いのに残念😥
Wikipediaにも、
とあるだけやねんな。
この後あたりに、多少の関わりがあったかも?
☆摂津晴門の最後
↑簡易年表にもあった通り、
1572年〈元亀3年〉朝廷への使者を務めていることが確認されて以降、
記録が発見されてないみたいやね。
『麒麟がくる』での目立ち具合次第では、
研究や調査が進むかもしれんね😉
しかし!
消息不明の「摂津族」_そして現代の「摂津」さん達
↓に面白い観点があった!
現代にて、名字が「摂津」の方がどこにいるかで、
摂津族がどこにいったのかを予測されている😲
結論としては
一門揃って愛媛県に移住したのだろうか?
大阪・京都・兵庫からすれば、
愛媛は和やかそうよね。
隠居先にはいいかもしれん。
ここから東は暴れまくってるもんな。
だって、この失踪から10年後には、
天下統一の目前にある、
織田信長は本能寺で死去し、
そこから8年後には、
豊臣秀吉が天下統一し、
さらに13年後には、
徳川家康が天下統一。
激動の時代やでー😳